ロータリーのはじめの4人

左から
ガスターバス E.. ローア
シルベスター・シール
ハイラム E. ショーレー
ポール・ハリス |
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20世紀初頭のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、
商業道徳の欠如が目につくようになっていました。
ちょうどそのころ、ここに事務所を構えていた
青年弁護士ポール・ハリスはこの風潮に堪えかね、
友人3人と語って、お互いに信頼のできる公正な取引をし、
仕事上の付き合いがそのまま親友関係にまで
発展するような仲間を増やしたい、という趣旨で
ロータリークラブという会合を考えました。
ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで
順番に開くことから名付けられたものです。 こうして1905年2月23日に
シカゴロータリークラブが誕生しました。
それからは志を同じくするクラブが、
つぎつぎ各地に生まれ、国境を超えて、
今では200以上の国と地域に広がり、
クラブ数32,814、会員総数1,216,964人
(2007年12月31日RI公式発表)に達しています。
そして、これら世界中のクラブの連合体を
国際ロータリーと称します。
このように、歴史的に見ても、ロータリーとは
職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなのです。
その組織が地球の隅々にまで拡大するにつれて、
ロータリーは世界に眼を開いて、
幅広い奉仕活動を求められるようになり、
現在は多方面にわたって多大の貢献をしています。
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米山梅吉

福島喜三次 |
わが国最初のロータリークラブは、
1920(大正9)年10月20日に創立された
東京ロータリークラブで、翌1921年4月1日に、
世界で855番目のクラブとして、
国際ロータリーに加盟が承認されました。
日本でのロータリークラブ設立については、
ポール・ハリスの片腕としてロータリーの組織をつくり、
海外拡大に情熱的に取り組んだ
初代事務総長チェスリー・ペリーと、
創立の準備に奔走した米山梅吉、福島 喜三次などの
先達の功を忘れることができません。
その後、日本のロータリーは、
第2次世界大戦の波に洗われて、
1940年に国際ロータリーから脱退します。
戦後1949年3月になって、再び復帰加盟しますが、
この時、復帰に尽力してくれたのが国際ロータリーの
第3代事務総長ジョージ・ミーンズでした。
その後の日本におけるロータリーの拡大発展は
目覚ましいものがあります。
ロータリー財団への貢献も抜群で、
今や国際ロータリーに
おける日本の地位は不動のものになりました。
現在、日本全体でのクラブ数は2,278、
会員数88,941人(2015年9月末現在)となっています。
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